「Clean Agile」をよみました
アジャイルの生みの親のひとりであるボブ・マーチンの「Clean Agile」をよみました。
## アジャイルが死んだ時代
アジャイルに携わるものとしてドキッとする言葉です。本著の訳者は、"2010年代は生みの親たちの手を離れたアジャイルが、まさに「死んだ」時代だったのだ"と記しています。私はアジャイルが生まれた2000年代、まだソフトウェア開発に携わっておらず、まさにアジャイルが「死んだ」2010年代にアジャイルと出会いました。近年、デジタル化の名の下にアジャイルが注目を浴び、さまざまなお客さまからアジャイルの導入支援を依頼されるようになりました。そのような状況にあって、私自身も世間のアジャイルに対する認識のズレが気になる場面に多く遭遇するようになっていました。
## 「スクラムをやりたいです」
違和感を感じる言葉です。アジャイルを免許制のように捉えている人があまりにも多い。プラクティスの背後に存在している原則を忘れてしまい、手段が目的化してしまっています。本著にもこう記されています。"メソドロジーとプラクティスは補助輪のようなものだ。最初のうちは非常に役に立つ。(中略)メソドロジーやプラクティスにこだわりすぎると、チームや組織が本当の目的を見失ってしまう。本来の目的は自転車の乗り方を教えることであり、補助輪をつけることではない。"
## アジャイルがソフトウェアを高速に提供するプロセスに変わっている
目的を見失ったアジャイルはバズワード化し、いつの間にかソフトウェアを高速に提供するプロセスに変化してしまいました。あらかじめマネージャーがスコープと納期を定義し、スプリント期間で予定のストーリーポイントを消化できなければ、遅れを取り戻すために、次のスプリントで開発者が残業でキャッチアップするような"なんちゃってアジャイル開発"が蔓延してしまっています。特に日本企業では、このようなアジャイルの本質を理解しない開発プロジェクトが多発している印象があります。(このような状態を本著では「アジャイルの二日酔い」と呼び、警鐘を鳴らしています。)
## 基本に立ち戻ろう!
アジャイルが生まれて20年がたち、私たちの周りにはさまざまなアジャイルのフレームワークが存在し、たくさんの"認定"スクラムマスターがビジネスを支援しています。アジャイルが一大ビジネスになった今だからこそ、今一度アジャイルの基本に立ち戻り、何のために我々はアジャイルを導入しようとしているのか?と問い直すことが必要なのではないでしょうか?
## さいごに
本著は、2001年当時、アジャイルが生まれた歴史的背景が生き生きと描かれています。また、アジャイルそのものについてもシンプルかつ丁寧に描かれており、アジャイルが何のために生まれ、本来どう使われるべきなのかを知ることができるはずです。私も定期的に読み返すことで、原点を忘れないようにしていきたいと思います。